Agile Japan 2010 イベントレポート:前編(Day1)
体験しよう!考えよう!行動しよう!
Agile Japan 2010
― 日本のアジャイルはここにある ―
EM ZERO編集部 野口隆史
2010年4月9、10日の2日間、東京箱崎の日本アイ・ビー・エムでアジャイルジャパン2010が行われました。アジャイルジャパンは2009年に続いて2回目の開催。昨年と同様、ペア割引が設定され、多くの参加者が上司や部下、お客様などとともに来場しました。
今年は『知識創造企業』で知られる一橋大学大学院名誉教授野中郁次郎先生のキーノートが大きな目玉です。アジャイル開発のフレームワークのひとつである「スクラム」の基礎を提唱した方でもあります。さらに、アジャイルの最先端テーマである企業レベルでのアジャイルの組織化を提唱するAlan Shalloway氏とのパネルディスカッションも続いて行われました。
イベント1日目の始まりはアジャイル開発入門者に向けたチュートリアルです。休日午前中からの開催にも関わらず、すでに大会場は多数の来場者で埋まりました。
意欲満々の来場者の様子。午前中から大入りです
チュートリアル「はじめてのアジャイル」
野中郁次郎氏の基調講演に先立って平鍋健児氏と倉貫義人氏によるチュートリアルが行われました。アジャイル開発が日本に紹介されて間もないころからアジャイルの啓蒙と実践を行われてきたお二方は、入門者にどのようなメッセージを届けてくれたのでしょうか。
チュートリアル前半―チェンジビジョン 平鍋健児氏
・アジャイルは少人数で高い生産性?
平鍋氏は、冒頭にディルバートの3コマ漫画を紹介しました。プログラマの増員を求める部下に対して、「アジャイル」をやれと上司が命じる漫画です。上司は「少人数で高い生産性を実現するもの」とアジャイルを捉えています。それを否定する部下に、「では、少人数で高い生産性を実現するもの」を表す別のキーワードを教えてくれ、と上司が返すのが落ちです。日本にアジャイルが紹介されて10年がたった今、アジャイル開発に対する誤解は払拭されたのでしょうか。
・アジャイルは反復と漸進
ソフトウェアには使われていない機能が45%、ほとんど使われていない機能が19%もあると言われます。ウォーターフォール型の開発では、初期段階でできるだけ多くの要求を入れておこうという意識が働きます。しかし、肥大化した要求は実装されないまま劣化し、ビジネスのスピードから取り残されていきます。これに対してアジャイル開発では、2週間から半年のサイクルで反復と漸進を繰り返し、大事な要求から実装していきます。
あまり知られていないのですが、こうした反復と漸進開発、機能毎のリリース(縦切り)を支えるのが、「シンプル設計」、「リファクタリング」、「テスト駆動開発」というオブジェクト指向設計技術を基礎にしたプラクティスです。テストファーストで作られたテストで、元のものが動作することを保証しながらシステムを進化させていきます。スクラムであれば、スプリントと呼ばれるループの中で出荷可能な状態のソフトをインクリメンタルに作っていきます。
・北米でアジャイルはキャズムを超えた
冒頭で述べたように、このスクラムのコンセプトを新製品開発の分野で最初に提唱したのが野中先生です。この考え方は、ソフトウェア開発の文脈でも北米を中心にアジャイル開発の一派としてメジャーなアプローチとなり、現在は各種の認定試験が行われるまでに組織化されています。北米でアジャイルはキャズムを超え、関心事は「大規模開発」「組織改革」「リーン」「アジャイルUX」などの応用分野に移っています。日本でのアジャイルへの取り組みはまだ遅れていますが、IPAの非ウォーターフォール研究会でアジャイル開発についての意見交換が行われるなど、徐々に存在感が高まってきています(本イベントでも2日目に紹介されました)。
平鍋氏のチュートリアルの様子。北米ではアジャイルはキャズムを超えている!
チュートリアル後半―TIS SonicGarden 倉貫義人氏
・アジャイルと受託開発、社内システム、クラウド
後半のバトンを受け取ったのは倉貫氏です。倉貫氏は自ら経験したプロジェクトを振り返りながら、アジャイル開発の始め方を紹介しました。倉貫氏はこれまで小規模の受託開発(9名)、中規模の受託開発(15 - 39名)、社内システム(2 - 10名)、クラウド(7名)のプロジェクトでアジャイル開発を実践し、受託開発に比べ、社内システムやクラウドとアジャイル開発の相性が良いという結果を得ました。
受託開発では契約で開発範囲が決まり、それ以外の部分に予算が付かない点がアジャイル開発のネックになります。また、パートナー企業にアジャイルで発注することも、現状の契約では困難です。
これに対して社内システムでは倉貫氏自身がビジネスオーナーとなり、自分で予算を管理できたことから非常にうまく開発が進んだと言います。また、クラウドは毎日リリースを繰り返していく開発形態のため、非常にアジャイルと相性が良いそうです。「買ったときが最高価値」の受託開発に対して、「使っている時点が最高価値」であるクラウドではアジャイル開発が適していると言えそうです。
・アジャイルとは改善を習慣にすること
倉貫氏によると、アジャイルとは改善を習慣にすることであり、そのためには「見える化」と「小口化」が必要となります。アジャイル開発はビジネス・アラインド(Business Aligned)とも表現されることがありますが、関係者がビジネスを自分のこととして考えることがアジャイル開発の入り口と言えそうです。
倉貫氏のチュートリアルの様子。
受託開発、社内システム、クラウド、それぞれのアジャイルとの相性を解説しました
チュートリアルの資料はこちら
http://www.slideshare.net/kuranuki/intro-toagile2010
キーノートセッション「現場からの知識創造―スクラムと知の場づくり」
野中郁次郎先生
・ほぼ満席状態で講演スタート!
野中先生のキーノートセッションはほぼ満席の状態で始まりました。平鍋氏の紹介で登壇した野中先生は、意外にもソフトウェア関係のイベントで登壇するのは初めてとのことです。昔書いた論文が、ご自身が専門とされないソフトウェアという業界で活用されていることに驚いたそうです。
・企業の唯一の経営資源は知識
野中先生は『知識創造企業』で世界的に知られる経営学者です。野中先生は冒頭で、企業にとって唯一の経営資源は知識なのだと説きました。知識からどう富を創出するか、そしてそのための活動を組織としてどう行うかが、知識創造理論のテーマです。知識とは客観的なものと思われがちですが、知識は主観から始まるものであり、個人の思いを真理に向かって正当化していく、個別を普遍につないでいくことが知識創造だそうです。客観的なものはいくら組み合わせても知識にならないというのが誤解しがちな点です。
・SECIモデルとは
主観的な暗黙知を客観的な形式知に変換し、そこで生まれた形式知が暗黙知を刺激する、というスパイラルを作っていくことが知識創造理論の狙いです。イノベーションはこのスパイラル(共同化→表出化→連結化→内面化)から生まれるというのが、SECIモデルの基本的な考え方です。
・知流を作るリーダーシップ
こうした知の流れ(知流)を機能させるためには、どのようなリーダーシップが必要なのでしょうか。野中先生はアリストテレスを引用して「フロネシス(Phronesis)」という実践知が必要であると述べました。個別具体のコンテキストで、最善の判断ができる知がフロネシスだそうです。正確な表現は手に余りますが、野中先生は、暗黙知の塊が長嶋監督、形式知の塊が野村監督と、野球にたとえて説明されました。そう言われると、ちょっとわかった気持ちになります。
・実践知に必要な6つの能力
実践知に必要なのは次の6つの能力です。
・「善い」目的を作る能力
・場(Ba)をタイムリーに作る能力
・ありのままの現実を直観する能力
・直観の本質を概念に変換する能力
・概念を実現する能力
・実践知を組織化する能力
・現実のただ中で考え、実行する能力
・場(Ba)作りの重要性
企業が成長するためには、これら6つの能力を社員にいかんなく発揮してもらうための「場(Ba)」を作る必要があります。個人の主観をより大きな枠で共有し(相互主観)、個人とチーム、企業が両立する大きな知が生成されるのが、もっとも創造的な状態だそうです。いわゆるホンダの「ワイガヤ」です。
・知的体育会系であれ
野中先生は、クリエイティブなソフトウェア開発者こそ、動きのただ中で考える「知的体育会系」であれと会場を勇気づけてくれました。知性と身体を高度に駆使したソフトウェア開発が今こそ求められているのだと感じました。講演の随所に繰り出されるユーモアで、会場は最後まで熱い空気で満たされました。
・フロネシスは「風呂寝死す」にあらず
この講演から1つだけ野中先生のユーモアを持ち帰るとしたら、フロネシスです。「風呂で寝て死ぬ」フロネシスと、野中先生に言われてしまうと、誰も忘れることはできないでしょう。そのときの会場のわきあがった声とともに鮮やかに光景が蘇ってきます。
その後会場のあちこちでフロネシスについて語られたことは言うまでもありません。限られた時間ではありましたが、あっという間に参加者が前向きになる場を作ってしまう野中先生に脱帽の1時間でした(実際にはアジャイルに10分間延長されました)。
講演中の野中先生。「Ba(場)」の重要性を教えてくださいました
このセッションの資料はこちら
パネルディスカッション
野中郁次郎先生、Alan Shalloway氏、平鍋健児氏
・スクラム、日本での再会
野中先生の講演に引き続いて、2日目のキーノートセッショントーカーであるAlan Shalloway氏と平鍋氏の2人を加えてパネルディスカッションが行われました。日本で生まれたスクラムがアメリカに渡って、また日本に帰ってきて生みの親と再会するという、大きな時代のループを感じさせるパネルディスカッションでした。
・ビジネス、チーム、マネジメント
ポスト・アジャイルの旗手であるShalloway氏は、暗黙知を形式知に変換するためには、ビジネス、チーム、マネジメントの3つが一体となり、ビジネスのビジョンがチームにまで伝わっていなければならないことを主張しました。これまでのアジャイルには、コンセプトをビジネスにつなげる「価値流」が欠けており、今後アジャイルを企業規模にスケールするにはこの価値流を円滑にする「マネジメント」の役割が重要になると主張しました。
・言葉か経験か
野中先生は、知識創造理論を発信した当時をふりかえり、アメリカが最初にこの理論に反応したことを指摘しました。知識創造理論は言葉と経験の両方が重要なものの、どちらが原点かと言えば経験だとする理論だそうです。Shalloway氏によると、こうした個人の経験からスタートする発想は、自主自立を重んじるカウボーイ的なアメリカ文化にフィットしたということです。
・行動の中で考える(Contemplation in Action)
最後に野中先生は、暗黙知を経験知に変換する際には、徹底的に分析的にならなければならないことを強調しました。行動の中で考える(Contemplation in Action)と一言で言っても決してたやすいことではありません。本質は見えないものなので、徹底的に考え、言語を磨かないと組織的な動きにつながらないそうです。
知識創造理論は、刺身の図からラグビーのメタファー、システム化、そして理論に発展したものだそうですが、それは非常に困難な過程だったそうです。まさに野中先生ご自身が、知的体育会系を身をもって実践されていることを実感しました。
パネルディスカッションの様子。左から平鍋氏、野中先生、Shalloway氏
会場は超満員
質問も絶えませんでした
事例セッション
恒例となりつつある、国際ファシリテーション協会理事の本間直人氏によるアイスブレイクを挟んで、2つの事例セッションとワークショップが行われました。事例セッションは、官公庁でのアジャイルへの取り組み(山形県庁と佐賀県庁)と、Webサービス開発でのアジャイル開発の実践例(楽天とDeNA)でした。
アイスブレイクの資料はこちら
http://www.slideshare.net/AgileJapan/ss-3695825
山形県庁と佐賀県庁の事例
山形県庁 渡邊貴之氏
NECソフトウェア東北 及川洋靖氏
佐賀県庁 東泰史氏
(モデレーター)NECソフト 安藤寿之氏
山形県庁では情報システムフレームワークでアジャイル開発をすることが規定されているそうです。SOAで疎結合したシステム設計が行われ、アジャイルによってユーザーが現物を確認しながら開発が行われています。具体的には、2003年に作られた電子申請システムがアジャイルで開発されているそうです。今後はサービスの粒度を小さくし、より地元企業も参加しやすい体制を目指してとのことです。
佐賀県庁では業務改革の一環としてプロジェクトファシリテーションが行われています。プロジェクトファシリテーションとは、アジャイル開発のプラクティスの中から、見える化や場作りに関するものを集めて、ウォーターフォール開発の中でも、さらにはソフトウェア開発以外でも、チームづくりや現場活性化に利用できるようにしたものです。予算減、職員減の厳しい環境はソフトウェア開発の現場と似ているそうで、にこにこカレンダーやタスクカンバン、朝会などが役立っているそうです。「自分にできることから」を合い言葉に、一人一改善を励行し、残業時間65%減、業務量37%減を達成しました。実績の一つとして、パスポート発給を従来の6日から5日に短縮し、現在は4日を目指しているそうです。人間性を尊重し、各職員の知恵を生かすことができるところがアジャイルの良さだそうです。
山形県庁の事例発表の様子
このセッションの資料はこちら
http://www.slideshare.net/AgileJapan/agilejapan2010
http://www.slideshare.net/hiranabe/agilejapan2010-saga-prefecture-higashi
http://www.slideshare.net/AgileJapan/agilejapan2010-nec-3770869
楽天とDeNAの事例
楽天 田澤久氏
DeNA 稲村直穂子氏
(モデレーター)サイバー大学 前川徹氏
楽天の開発現場では、TDD(テスト駆動開発)とCI(継続的インテグレーション)が行われているそうです。テストコードによる常にアプリケーションの動作が保証され、CIサーバにより繰り返し品質確認ができることの良さを実感しているそうです。テストコードの作成にはコストがかかるものの、運用コストの削減は劇的で、毎回の再テストコストが大幅に下がっていることが示されました。このようなプラクティスが現場で実践されているのは、システムを作って終わりではなく常にメンテナンスが継続していくために、システムを自分たちもののである、と考える文化とメンタリティが背景にはあるようです。
DeNAは、結果的にアジャイル開発になっていた、3つのケースが紹介されました。モバゲータウン向け携帯Webアプリ、モバゲーオープンプラットフォーム、広告管理業務運用システムなどがアジャイル開発になっていたと言います。「成功させた人が一番偉い」という同社の文化の中では、エンジニアが一番評価されやすい位置にいます。そうした文化の中でエンジニアも事業の成功を意識するようになり、スピード、機動力、品質を徹底して考え抜く習慣が生まれていることが伺われました。
両事例から、Webサービスという最も変化速度が速いビジネス領域では、課題の認識と解決を現場主導で行っていくという姿勢が大切であること、そして、それが自然とアジャイルに結びついていくということが、実例を通して伺えました。
楽天とDeNAの事例発表の様子
このセッションの資料はこちら
http://www.slideshare.net/AgileJapan/aj201020100409maegawasensei
http://www.slideshare.net/AgileJapan/agile-japan2010-rakuten
ワークショップ―ファシリテーショングラフィック
パナソニックAVCマルチメディアソフト 西河誠氏
昨年のアジャイルジャパンで大好評だったファシリテーショングラフィックのワークショップが今年も行われました。ファシリテーショングラフィックは、板書の色や装飾、配置など工夫することで議論を活性化させる手法です。
会議のテーマや流れが見えやすくなるほか、カラフルで変化のあるビジュアルを駆使することで場が盛り上がります。ワークショップでは、字の書き方、強調・スタイル・イラストの使い方、基本図形の描き方、空間のデザインの仕方、要約の仕方、などが伝授されました。解説の後は、おのおの席を立って、ホワイトボードや模造紙を使った分析と改善提案のワークを行いました。
いきなりファシリテーショングラフィックを会議に導入するのが難しい場合は、日頃のメモやセミナーレポート、席でのプチ打ち合わせに使ったり、確認やまとめの部分で使うなどの方法があるそうです。
ビジュアルがあると会話も弾みます
このワークショップの資料はこちら
http://www.slideshare.net/nishikawa_makoto7/ss-3690179
ふりかえり
永和システムマネジメント 岡島幸男氏
1日目終わりに、永和システムマネジメントの岡島幸男氏によるふりかえりが行われました。岡島氏にとっても、野中先生のキーノートは印象深かったそうです。本レポートでも述べましたが、実践知を表すフロネシスをあえて「風呂寝死す」と言って印象づける話運びはプロジェクトファシリテーションにも通じるものがあるとのことです。また、暗黙知を重んじる野中先生の主張に大きく共感しているそうです。
岡島氏は最後に、2日目のマネジメントも含めてアジャイルを見直すShalloway氏のキーノートへの期待を語ってイベントの1日目を締めくくりました。
1日目のふりかえりの様子。明日も参加しましょう!
後編(Day2)へと続きます。こちらをご覧下さい。